あなたは雑誌の表紙の絵をどのくらい覚えていますか?最近天リフで行ったアンケートで衝撃的な?結果が出ています。

直近の1年間で、2/3近くの人が「全く思い出せない」または「一つ思い出せるかどうか」。「ほとんど全部思い出せる」人は皆無。

編集子は、少年から青年時代に(熱心に)読んだ雑誌の表紙の絵はほとんど覚えていました。さすがに今でも覚えているものは少ないですが、少なくとも今見返すと「あ、あのときのあれ!(*)」くらいには記憶にあります。

(*)「あの」「あれ」しか出ないのは加齢のせいですねwww

このアンケートの伏線は、先日の以下のピックアップ。

エクタクロームと星ナビが繋いだ縁・表紙の記憶

天文雑誌の表紙の記憶が20年の年月を越えて、2人の天文ファンを繋いだお話。この記事の中で編集子は

昔の雑誌とその表紙が人々の記憶に刻んできたようなことは、今の時代ではいったい何になるのだろうか

と書きました。

星ナビ公式様からは上のリプライをいただきました。

何度も読み直してぼろぼろになって、でも記憶にはしっかり刻まれたものが誰にでもあるはず。「もうそんな時代じゃない」とは思いたくないですね。

でも、アンケートの結果を見る限り、少なくとも天文雑誌の表紙は今の時代「記憶にしっかり刻み込まれたもの」ではなくなっているようです。

では、「雑誌の表紙」が熱心な読者の頭に刻み込まれなくなったのはなぜで、いつからそうなったのでしょうか?

表紙の役割の変化



サンプルを2つ。最近の雑誌の表紙は文字と画像を組み合わせて、総合的に読者にアピールすることを狙っているのではないかと感じられます。この例では、主題は画像ではなく文字。画像は「背景」にしかすぎません。この手法の場合、表紙が映像として刻まれる可能性はより低くなるかもしれません。

読者は情報に飢えていた

40年前、20年前の「天文ガイド」の表紙から。この時代、天文ガイドの表紙は画像の上に文字が重ねられることは極めて希でした。1970年代以前に至っては、表紙にはロゴと年月以外の文字はほぼ皆無で、雑誌の顔は写真そのものでした。

この時代、人々が眼にする写真の数は、現代の1/100もなかったかもしれません。テレビに縁のないマニアな趣味では、印刷された情報がほとんど全て。読者は情報に飢えていたので、表紙では何かを説明する必要はなく、そこにあるがままのものとして記憶に刻まれたのでしょうか。

読者の高齢化

上の画像は1965年の池谷・関彗星。オールド天文ファンの頭の中に刻み込まれている映像。おそらく現在の天文ファンの中心は、この映像を見て「おお、アレか!」と思う層です。

当時青少年だったその層は、見るもの読むもの全てを全身に刻み込みました。それが今では中年から初老。昔のような新鮮な感受性と記憶力が衰えるのも仕方ないでしょう。「刻み込まれなくなった」のではなく、単に(老化で)「刻み込めなくなった」だけかもしれません。

何度も読み返して記憶にしっかり刻まれたもの

でも「何度も読み返して記憶にしっかり刻まれたもの」がなくなった訳ではない。そんなはずはありません。それはお気に入りのDVDやYouTube動画かもしれないし、Kindleの中の一冊の本かもしれないし、巨大掲示板の文化遺産的良スレかもしれません。

そして天文雑誌においては「天文ガイド」「星ナビ」といったブランドこそが、今も読者に深く刻まれたものだと言えるのではないでしょうか。

天リフの「表紙」

余談ですが、天リフは開設からしばらくの間、上の画像のような「表紙」を定期的に更新していました。理由はもちろん「表紙は読者の記憶に刻まれるような顔でありたい」という思いからです(*)。

(*)昔の天ガのフォーマットに似ているのは、リスペクトです。

しかし、しばらくして止めてしまいました。誰もそんなもの見ちゃいないし、求めてもいませんでした。読者がメディアに求めるものは、表紙ではなく中身である。当たり前と言えば当たり前のことでした。

記憶に残るコンテンツ

また結論のない記事を書いてしまいました(大汗。

「記憶に残るコンテンツ」を発信できるよう、日々邁進してまいりますm(_ _)m。

 

 

 

http://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2018/10/2294a2b0619e6d0dd628674a1d5f68a5.pnghttp://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2018/10/2294a2b0619e6d0dd628674a1d5f68a5-150x150.png編集部雑記帳新着TPODあなたは雑誌の表紙の絵をどのくらい覚えていますか?最近天リフで行ったアンケートで衝撃的な?結果が出ています。 https://twitter.com/tenmonReflexion/status/1053522672808734725 直近の1年間で、2/3近くの人が「全く思い出せない」または「一つ思い出せるかどうか」。「ほとんど全部思い出せる」人は皆無。 編集子は、少年から青年時代に(熱心に)読んだ雑誌の表紙の絵はほとんど覚えていました。さすがに今でも覚えているものは少ないですが、少なくとも今見返すと「あ、あのときのあれ!(*)」くらいには記憶にあります。 (*)「あの」「あれ」しか出ないのは加齢のせいですねwww このアンケートの伏線は、先日の以下のピックアップ。 http://reflexions.jp/tenref/orig/2018/10/20/6705/ 天文雑誌の表紙の記憶が20年の年月を越えて、2人の天文ファンを繋いだお話。この記事の中で編集子は 昔の雑誌とその表紙が人々の記憶に刻んできたようなことは、今の時代ではいったい何になるのだろうか と書きました。 https://twitter.com/Hoshinavi/status/1053517845223493632 星ナビ公式様からは上のリプライをいただきました。 何度も読み直してぼろぼろになって、でも記憶にはしっかり刻まれたものが誰にでもあるはず。「もうそんな時代じゃない」とは思いたくないですね。 でも、アンケートの結果を見る限り、少なくとも天文雑誌の表紙は今の時代「記憶にしっかり刻み込まれたもの」ではなくなっているようです。 では、「雑誌の表紙」が熱心な読者の頭に刻み込まれなくなったのはなぜで、いつからそうなったのでしょうか? 表紙の役割の変化 サンプルを2つ。最近の雑誌の表紙は文字と画像を組み合わせて、総合的に読者にアピールすることを狙っているのではないかと感じられます。この例では、主題は画像ではなく文字。画像は「背景」にしかすぎません。この手法の場合、表紙が映像として刻まれる可能性はより低くなるかもしれません。 読者は情報に飢えていた 40年前、20年前の「天文ガイド」の表紙から。この時代、天文ガイドの表紙は画像の上に文字が重ねられることは極めて希でした。1970年代以前に至っては、表紙にはロゴと年月以外の文字はほぼ皆無で、雑誌の顔は写真そのものでした。 この時代、人々が眼にする写真の数は、現代の1/100もなかったかもしれません。テレビに縁のないマニアな趣味では、印刷された情報がほとんど全て。読者は情報に飢えていたので、表紙では何かを説明する必要はなく、そこにあるがままのものとして記憶に刻まれたのでしょうか。 読者の高齢化 上の画像は1965年の池谷・関彗星。オールド天文ファンの頭の中に刻み込まれている映像。おそらく現在の天文ファンの中心は、この映像を見て「おお、アレか!」と思う層です。 当時青少年だったその層は、見るもの読むもの全てを全身に刻み込みました。それが今では中年から初老。昔のような新鮮な感受性と記憶力が衰えるのも仕方ないでしょう。「刻み込まれなくなった」のではなく、単に(老化で)「刻み込めなくなった」だけかもしれません。 何度も読み返して記憶にしっかり刻まれたもの でも「何度も読み返して記憶にしっかり刻まれたもの」がなくなった訳ではない。そんなはずはありません。それはお気に入りのDVDやYouTube動画かもしれないし、Kindleの中の一冊の本かもしれないし、巨大掲示板の文化遺産的良スレかもしれません。 そして天文雑誌においては「天文ガイド」「星ナビ」といったブランドこそが、今も読者に深く刻まれたものだと言えるのではないでしょうか。 天リフの「表紙」 余談ですが、天リフは開設からしばらくの間、上の画像のような「表紙」を定期的に更新していました。理由はもちろん「表紙は読者の記憶に刻まれるような顔でありたい」という思いからです(*)。 (*)昔の天ガのフォーマットに似ているのは、リスペクトです。 しかし、しばらくして止めてしまいました。誰もそんなもの見ちゃいないし、求めてもいませんでした。読者がメディアに求めるものは、表紙ではなく中身である。当たり前と言えば当たり前のことでした。 記憶に残るコンテンツ また結論のない記事を書いてしまいました(大汗。 「記憶に残るコンテンツ」を発信できるよう、日々邁進してまいりますm(_ _)m。      編集部発信のオリジナルコンテンツ