2023.4.20西オーストラリア皆既日食。自分史上最大の感動的な体験でした。これを言葉と画像で表現するのは非常に困難なのですが、できる限りまとめてみたいと思います。

皆既日食という五感体験

刷り込まれたイメージと現実体験のギャップ

2006年3月29日のトルコでの皆既日食。出典:wikipedia 日食 https://ja.wikipedia.org/wiki/日食

天文ファンにとって、皆既日食とは上の画像のような「黒い太陽と広がったコロナ」のイメージではないでしょうか。筆者も子供の頃からこんな皆既日食のイメージに憧れ、夢を馳せていたものです。

しかし、今回皆既日食を体験してつくづく思いました。この画像は皆既日食という体験のほんの一部にしか過ぎないと。かなり下世話な妄想で例えると、好きな異性の1枚のスナップを見るのと、一夜を共にするくらいの違いがあります。



最高の瞬間

第三接触3秒前。このときの鮮やかな太陽の色彩は生涯忘れられないでしょう。

筆者にとっての今回の皆既日食の最高の瞬間は、第三接触の直前に肉眼で太陽を見上げた時です。深紅の彩層と突き出したプロミネンスに囲まれた黒い太陽と紅環。広がるコロナの複雑に入り組んだ流線。抜けるように限りなく透明なブルーの空。人々の歓声とどよめき。そして月の縁から雫のように太陽の光がこぼれ、みるみる大きくなり、生きもののようにリング状に連なっていきます。闇から光が湧きだし、コロナとプロミネンスをかき消しながら光が満ちてゆく。この世で最も美しい闇から、この世で最も美しい光へと一変していく世界。その場に立ち会うことができた奇跡と幸福感を感じながら立ち尽くしていました。皆既日食の最大の魅力は、ほんのわずかな十数秒の間に激変してゆくこんな世界に立ち会えることではないでしょうか。

太陽が隠されるという「あり得ない」できごと

皆既中の空。わずか1分弱ですが世界は一変しました。

太陽がかなり深く隠されて鎌のような形になったときでもなお、太陽を肉眼で直視しても眩しすぎて欠けたようには見えないことも新鮮な発見でした(*)。よくある日食の連続写真を見ると、太陽が徐々に月に隠されていくイメージが強いですが、実際にその場に身を置くと、太陽が欠けてゆくことは肉眼では全く感じられず、食分50%くらいの時点から徐々に光が弱まっていき、皆既1分前くらいから急激に光を失っていきます。そして、ダイヤモンドリングの直前であっても、太陽の光による自分の影は明瞭に地面に映っているのです。

(*)穴を空けた厚紙を用意しておくことを失念したのが最大の後悔です。。

これは大気の吸収によって光が弱まっていく(同時に色も赤く変わってゆく)日没や日の出とは全く違った感覚です。ふだん通りの風景が見えているのに、魂が失なわれていくかのように光がその存在感を弱めてゆき、闇が支配する世界に神々しいまでの黒い太陽が現れる。古代人が前提なしに皆既日食に遭遇したとき、一番驚いたのは「黒い太陽」そのものではなく、こんな神にしか為しえないような急速な変化ではなかったのではないでしょうか。何が起きているのか理解できないまま、世界がその存在感を失い突如暗闇に変わることに、ひっくり返るほどの驚きと恐怖を感じたであろうことも実感しました。この世界にはありえないようなことが起きるのだと。

皆既が終わり、あっという間に日常に戻った風景。

皆既日食は自分を取りまく環境全ての体験である

皆既日食の面白さ・美しさは、コロナとプロミネンスをまとった黒い太陽はもちろんのこと、短い時間の間で環境全体の風景が激変していくことにもあります。今回の皆既日食は西オーストラリアの乾燥した赤土の広場でした。自然環境としても人間社会の環境としてもやや平板で単調でしたが、逆に皆既日食によって激変する世界の変化を純粋に実感することができました。太陽の地平高度は約70度。じりじりと焼け付くような日射しが、食が進むにつれてマイルドになり、皆既の直前になると急速に温度感が下がっていきます。そんな変化も皮膚感覚で感じることができました。

都市部で起きる皆既日食や、緑豊かな里山での皆既日食では、また違った感覚を感じられるかもしれません。おそらく、どんな皆既日食でも同じものは2つとないのでしょう。

この眼でしか見えないもの

デジタル画像処理技術の恩恵により「この眼で見えないものが見える」世界を謳歌している天体写真界隈ですが、こと皆既日食に関しては真逆です。主にダイナミックレンジ不足(*)という理由で、人間の眼で見た日食の印象には足元にも及んでいないのが現状です。皆既中の彩層とプロミネンスはもっと赤く鮮やかに輝いていますし、眩しいほどの内部コロナからごく淡い外部コロナまでのグラデーションの美しさ、ダイヤモンドリングのほとばしるような光芒なども、カメラの眼を通すと一気に平板な絵になってしまいます。HDR処理を行っても、たった8ビットの輝度レンジではまったくその迫力を表現することができません。

(*)一般的なデジタルカメラは14ビット=1:16000の輝度比を記録できますがこれでは日食の輝度比を全て記録するにはまだ不足しています。何より、最終的にディスプレイに表示される際にはわずか8ビット=1:256の輝度比しか再現できません。

おそらく少なくともあと10年は、皆既日食において生の映像にデジタル映像が追いつくことはないでしょう。その日までは皆既日食はこの眼でしか見ることができない究極の体験であると断言できます。ぜひ多くの方に体験してほしいと思います。

逆に、デジタル映像技術の今後の進化を示す試金石として、皆既日食ほど適切なものはないといえます。輝度比1:100万(*)のディスプレイ技術はすでに現実のものになっています。筆者があのとき見た光景がリアルに再現される日は、いずれ訪れることでしょう。ぜひその時まで長生きしたいと思います。

(*)輝度比1:100万は露出20段分(20ビット)に相当します。光球面の輝度と暗夜の星空は30段ほど違うのでまだ足りませんが、おそらく皆既日食の輝度差はほぼ再現できるのではないかと推測します。

この眼で見えるものが全てではない

もちろん、人間の眼で見えることだけが全てではありません。カメラというデバイスを使用することで、眼では感じにくい皆既日食という体験の一面をあぶりだすこともできます。上の画像は全天球カメラから切り出した早送り動画ですが、地球に落ちた月の影(本影錘)が移動していくさまがとらえられています。時間の単位を自在に伸縮できる動画という手法ならではです。

このような本影錘の存在は、日食を何度か経験された方には常識的に実感できることかもしれませんが、私自身は今回の日食では感じる暇もありませんでした。どちらかといえばカメラの性能の限界ばかりが目に付く皆既日食ですが、カメラを通してこそ明瞭に見えてくるものも確かにあります。食の深い日食では外部コロナの広がりを人間の眼よりはるかに捉えられるかもしれません。皆既日食の映像記録においては、まだ未開拓の分野と越えられる限界線があるに違いないと感じました(*)。

(*)今回は動画をほぼ全て「自動露出」で撮影したため、絶対的な明るさの変化が反映されたものにはなっていません。暗い時間は本来もっと暗いのです。デジタル技術の進化によってこのギャップが埋められる日が来るのが楽しみです。

日食の常識と非常識

皆既日食は「あっという間に終わってしまう」現象です。今回の皆既日食は50秒程度。この5000年間で最長の日食でも7分29秒です。このせいか、世の中では皆既の継続時間が長いほどよい日食であるという誤った認識が流布しています。

筆者は今回が初という日食の初心者ではありますが、あえて断言します。

皆既日食は長ければいいというものではない。

むしろ食分が1に近いほど(月と太陽の大きさが限りなく近い皆既日食ほど)美しい日食であると(*)。

(*)故・村山定男先生も「皆既日食は継続時間が短いほど美しい」と仰っていたそうなので、日食マニアには常識なのかもしれません。

その理由は明快です。太陽と比較して月が大きいほど皆既日食の継続時間は長くなるのですが(*1)、大きな月は光球にごく近いプロミネンスや彩層、内部コロナを覆い隠してしまうからです。今回の日食では、黒い太陽を取り囲む彩層の深紅のリングが筆舌に尽くしがたい美しさだったのですが(*2)、これが見られるのは今回のような最大継続時間の短い日食に限られるようです。

(*1)厳密には皆既の継続時間は最大食分(月と太陽の直径の比)だけでなく、太陽の地平高度などさまざまな要素が絡んできます。
(*2)この印象を再現できた画像は筆者はまだ眼にしていません。天体写真の最終チャレンジの一つといっても過言ではないでしょう。ひょっとしたら、昨年のKAGAYAさんの展覧会の満月の作品のように、プリントに適切な照明を当てることで実現できるかもしれません。

上の画像をごらんください。左は今回の日食での第二接触(月が太陽を全て隠す最初のタイミング)の実写画像。月の視直径は約32分角。右は皆既の継続時間が7分となるような「大きな月(視直径33.5分角)」をシミュレーションしたもの。10時の方向にあるループ上のプロミネンスが全て隠され、8時の方向にある角のように突き出したプロミネンスも半分隠されてしまいました。11時の方角の内部コロナも、最も明るく輝いている部分が隠されています。

つまり大きすぎる月は皆既日食の最も美しい部分を覆い隠してしまうのです。その意味では、理想的なのはぎりぎり太陽を月が覆い隠すような皆既日食です。今回の日食の最大継続時間は約1分ですが、ツアーに参加された日食の猛者たちは「今回の日食は最高に美しかった」「最初にこんな日食を経験してしまうと、次の日食ではがっかりするかもよ」と口を揃えていました(*)。

(*)最大継続時間が2分以下の皆既日食は、近年では 2013年11月3日の金環皆既日食(最大継続時間1分40秒)、2021年12月4日の皆既日食(最大継続時間1分54秒)、2031年11月14日の金環皆既日食(最大継続時間1分5秒)があります。

日食はどんなにがんばっても数年に一回しか見られない現象なので「えり好み」していると人生が終わってしまいます。「継続時間の長い皆既日食はダメ!」とはとても言えないのですが「長けりゃいい」という考え方はあまりにも残念すぎる(*)といえるでしょう。



(*)ただし「同じ皆既日食では皆既帯の中心に近いほど良い」というのは大正義です。

ひとつだけ補足しておくと。継続時間の長い日食にも「長い」以外のいいところがあります。外部コロナの広がりを見るには、食分の大きな(≒継続時間の長い)日食ほど条件が良いといえます。食分が小さい今回の日食では月の影の直径がが50km弱ほどと小さく、あまり空が暗くならなかった(*)ようです。継続時間の長い日食ではこれが数百kmほどになり(*)、大きな月の影が空の広い部分を暗く覆うため、弱い外部コロナの広がりがよりよく見えるはずです。近年では2027年8月2日の皆既日食(最大継続時間6分23秒)が有数の継続時間で、外部コロナ狙いのチャンスといえるでしょう。

(*)太陽の地平高度が低いと月の影が斜めに地球に落ちるため皆既帯の幅が1000km近くになる場合もあります。

皆既日食中の空の明るさに関する研究/塩田和生さん

 

皆既日食を体験しよう

筆者は今回確信しました。さまざまな天文現象・天体ショーの中で、皆既日食はまぎれもなく至高の体験であると。天文ファンなら万難を排してでも生涯に一度は体験する価値があります(*)。これを見ずに死ねるか、です。

(*)皆既日食をすでに体験された方には何も申し上げることはありません。

しかし、皆既日食には3つの問題があります。一つめは多額の費用、二つめは悪天候リスク、三つめは中毒化のリスクです。

まずは費用です。筆者が参加した今回のツアーはプライベートツアーでしたので比較的低価格だったのですが、同じエクスマウスの道祖神主催の8日間ツアーは77.7万円でした。一般的に旅行会社主催のツアーはプライベートツアーの1.5倍〜2倍程度の費用がかかるとみてよいかと思いますが(*1)、加えて皆既日食は交通の不便な地域を通ることが多く、高価になりがちです。さらに近年の原油高・円安で、海外旅行のハードルはかなり上がってしまっています(*2)。

(*1)このことを忌み嫌う人もいますが、ビジネスとして旅行を企画・販売・運営する限りは当然ともいえます。
(*2)体感的にオーストラリアの物価は日本の2倍程度にも感じました。

しかし、今回の日食に関しての個人的な感想は仮に100万円であっても安い、です。お金に余裕があるなら旅行会社のツアーに、なんとか安くあげたいのであれば海外旅行経験の豊富な友人と組んで(けしかけて^^;;)個人旅行を企画する(*)のがよいと思います。

(*)「旅は道連れ」といいますが、旅行で重要なのはなんといっても「よい仲間」と共にできるかです。今回のツアーはその意味でも最高のものでした。同行した方々に深く感謝申し上げます。

二つめの問題は天候リスクです。今回の西オーストラリア・エクスマウスは、晴天率が高いことが予想され天候面で恵まれたものでした。それでも、前日・翌日は雲がそれなりにあり、雲で遮られる危険は十分にありました。来年の4月8日の北米日食では、米国東海岸は晴天率が低いと言われていますし、2035年9月2日の北陸・関東を横断する皆既日食も天候面ではリスク大です。とにかく曇ってしまうと日食は見られません。皆既日食を目にするために何回遠征しなくてはならないのか。このリスクが一番厳しいといえます(*)。

(*)日食本番が悪天候でも楽しめるようなツアーを企画するのが最善の対処法でしょう。その意味では南半球やふだん旅行する機会の少ない辺境の日食ほど総合的な満足度の期待値が高くなる可能性があります。また、天文ファンのニーズを考慮したツアー企画の立案の観点では、まだまだ工夫の余地があるかもしれません。天リフの長期課題として割と真剣に検討中です。

最後の問題は中毒化リスクです。一度皆既日食を見ると、もう一度見たくなります。筆者も費用的に「皆既日食は一生に一回でいいや」と思って今回参加したのですが、もう「次も行くしかない」モーになっています。二年に一回50万円。10年で250万、30年で750万。ヘタに嵌まると「日食貧乏」に一直線です(*)。

(*)金銭面だけでいえば、初体験がこの年齢(59)で良かったとつくづく思いますw

しかし「日食中毒」に現実に罹患できる方は、いろんな意味でかなり幸せな方です。罹患した人は幸せ者だし、罹患しなければ手元にお金が残ります。今後の皆既日食では、さまざまな方が臨場感あるライブ中継を実施されるでしょうし、一度リアルの皆既日食を経験しておけば、ライブ中継を視聴するという代償行為で記憶を反芻するだけでもかなり満足できることでしょう(*)。日食中毒罹患への心配は無用とまでは断言できませんが、大きな問題ではないと思います(やや無責任^^;)。

(*)すでに自分の配信を何度も見返しては感激に浸っています^^

最後に大事なことなのでもう一度。

皆既日食はいいぞ〜!ぜひ行きましょう。次回は2024年4月8日です!

※天リフ編集長は晴天率が高いメキシコ北部への遠征を検討中です。

まとめ

いかがでしたか?

今回の西オーストラリア遠征は日食以外にも実にさまざまな体験があったのですが、まず皆既日食に絞ってまとめてみました。何度も繰り返しますが、皆既日食はまぎれもなく最高の天文ショーであり、貴方の人生に確実に深い一撃を与えるものとなることでしょう。老若男女にかかわらず、ぜひ一度体験されることをオススメします。

最後になりましたが、今回の個人旅行ツアーの世話人をされた佐賀天文協会の副島さん、K-ASTECの川野さん、そして素晴らしいツアーの仲間たちに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました!

皆既日食のライブ配信アーカイブ。

日食当日夜の反省会?ライブ配信。濃い内容に豪華キャスト、神回です。編集長は飲みまくって別人28号状態で、はじけ飛んでいますw https://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2023/05/53ab798f71ced06523d237ca306cc1e8-1024x538.jpghttps://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2023/05/53ab798f71ced06523d237ca306cc1e8-150x150.jpg編集部天文紀行皆既日食2023.4.20西オーストラリア皆既日食。自分史上最大の感動的な体験でした。これを言葉と画像で表現するのは非常に困難なのですが、できる限りまとめてみたいと思います。 皆既日食という五感体験 刷り込まれたイメージと現実体験のギャップ 天文ファンにとって、皆既日食とは上の画像のような「黒い太陽と広がったコロナ」のイメージではないでしょうか。筆者も子供の頃からこんな皆既日食のイメージに憧れ、夢を馳せていたものです。 しかし、今回皆既日食を体験してつくづく思いました。この画像は皆既日食という体験のほんの一部にしか過ぎないと。かなり下世話な妄想で例えると、好きな異性の1枚のスナップを見るのと、一夜を共にするくらいの違いがあります。 最高の瞬間 筆者にとっての今回の皆既日食の最高の瞬間は、第三接触の直前に肉眼で太陽を見上げた時です。深紅の彩層と突き出したプロミネンスに囲まれた黒い太陽と紅環。広がるコロナの複雑に入り組んだ流線。抜けるように限りなく透明なブルーの空。人々の歓声とどよめき。そして月の縁から雫のように太陽の光がこぼれ、みるみる大きくなり、生きもののようにリング状に連なっていきます。闇から光が湧きだし、コロナとプロミネンスをかき消しながら光が満ちてゆく。この世で最も美しい闇から、この世で最も美しい光へと一変していく世界。その場に立ち会うことができた奇跡と幸福感を感じながら立ち尽くしていました。皆既日食の最大の魅力は、ほんのわずかな十数秒の間に激変してゆくこんな世界に立ち会えることではないでしょうか。 太陽が隠されるという「あり得ない」できごと 太陽がかなり深く隠されて鎌のような形になったときでもなお、太陽を肉眼で直視しても眩しすぎて欠けたようには見えないことも新鮮な発見でした(*)。よくある日食の連続写真を見ると、太陽が徐々に月に隠されていくイメージが強いですが、実際にその場に身を置くと、太陽が欠けてゆくことは肉眼では全く感じられず、食分50%くらいの時点から徐々に光が弱まっていき、皆既1分前くらいから急激に光を失っていきます。そして、ダイヤモンドリングの直前であっても、太陽の光による自分の影は明瞭に地面に映っているのです。 (*)穴を空けた厚紙を用意しておくことを失念したのが最大の後悔です。。 これは大気の吸収によって光が弱まっていく(同時に色も赤く変わってゆく)日没や日の出とは全く違った感覚です。ふだん通りの風景が見えているのに、魂が失なわれていくかのように光がその存在感を弱めてゆき、闇が支配する世界に神々しいまでの黒い太陽が現れる。古代人が前提なしに皆既日食に遭遇したとき、一番驚いたのは「黒い太陽」そのものではなく、こんな神にしか為しえないような急速な変化ではなかったのではないでしょうか。何が起きているのか理解できないまま、世界がその存在感を失い突如暗闇に変わることに、ひっくり返るほどの驚きと恐怖を感じたであろうことも実感しました。この世界にはありえないようなことが起きるのだと。 皆既日食は自分を取りまく環境全ての体験である 皆既日食の面白さ・美しさは、コロナとプロミネンスをまとった黒い太陽はもちろんのこと、短い時間の間で環境全体の風景が激変していくことにもあります。今回の皆既日食は西オーストラリアの乾燥した赤土の広場でした。自然環境としても人間社会の環境としてもやや平板で単調でしたが、逆に皆既日食によって激変する世界の変化を純粋に実感することができました。太陽の地平高度は約70度。じりじりと焼け付くような日射しが、食が進むにつれてマイルドになり、皆既の直前になると急速に温度感が下がっていきます。そんな変化も皮膚感覚で感じることができました。 都市部で起きる皆既日食や、緑豊かな里山での皆既日食では、また違った感覚を感じられるかもしれません。おそらく、どんな皆既日食でも同じものは2つとないのでしょう。 この眼でしか見えないもの デジタル画像処理技術の恩恵により「この眼で見えないものが見える」世界を謳歌している天体写真界隈ですが、こと皆既日食に関しては真逆です。主にダイナミックレンジ不足(*)という理由で、人間の眼で見た日食の印象には足元にも及んでいないのが現状です。皆既中の彩層とプロミネンスはもっと赤く鮮やかに輝いていますし、眩しいほどの内部コロナからごく淡い外部コロナまでのグラデーションの美しさ、ダイヤモンドリングのほとばしるような光芒なども、カメラの眼を通すと一気に平板な絵になってしまいます。HDR処理を行っても、たった8ビットの輝度レンジではまったくその迫力を表現することができません。 (*)一般的なデジタルカメラは14ビット=1:16000の輝度比を記録できますがこれでは日食の輝度比を全て記録するにはまだ不足しています。何より、最終的にディスプレイに表示される際にはわずか8ビット=1:256の輝度比しか再現できません。 おそらく少なくともあと10年は、皆既日食において生の映像にデジタル映像が追いつくことはないでしょう。その日までは皆既日食はこの眼でしか見ることができない究極の体験であると断言できます。ぜひ多くの方に体験してほしいと思います。 逆に、デジタル映像技術の今後の進化を示す試金石として、皆既日食ほど適切なものはないといえます。輝度比1:100万(*)のディスプレイ技術はすでに現実のものになっています。筆者があのとき見た光景がリアルに再現される日は、いずれ訪れることでしょう。ぜひその時まで長生きしたいと思います。 (*)輝度比1:100万は露出20段分(20ビット)に相当します。光球面の輝度と暗夜の星空は30段ほど違うのでまだ足りませんが、おそらく皆既日食の輝度差はほぼ再現できるのではないかと推測します。 この眼で見えるものが全てではない 2023.4.20皆既日食。皆既前後の空の明るさの変化に注目。月の影(本影錘)が左から右に移動していくのがわかります。360°カメラTheta Zからの切り出し。太陽の映像はK-ASTEC川野さん撮影。 pic.twitter.com/0eoPI4AJAJ — 天リフ編集部 (@tenmonReflexion) May 4, 2023 もちろん、人間の眼で見えることだけが全てではありません。カメラというデバイスを使用することで、眼では感じにくい皆既日食という体験の一面をあぶりだすこともできます。上の画像は全天球カメラから切り出した早送り動画ですが、地球に落ちた月の影(本影錘)が移動していくさまがとらえられています。時間の単位を自在に伸縮できる動画という手法ならではです。 このような本影錘の存在は、日食を何度か経験された方には常識的に実感できることかもしれませんが、私自身は今回の日食では感じる暇もありませんでした。どちらかといえばカメラの性能の限界ばかりが目に付く皆既日食ですが、カメラを通してこそ明瞭に見えてくるものも確かにあります。食の深い日食では外部コロナの広がりを人間の眼よりはるかに捉えられるかもしれません。皆既日食の映像記録においては、まだ未開拓の分野と越えられる限界線があるに違いないと感じました(*)。 (*)今回は動画をほぼ全て「自動露出」で撮影したため、絶対的な明るさの変化が反映されたものにはなっていません。暗い時間は本来もっと暗いのです。デジタル技術の進化によってこのギャップが埋められる日が来るのが楽しみです。 日食の常識と非常識 皆既日食は「あっという間に終わってしまう」現象です。今回の皆既日食は50秒程度。この5000年間で最長の日食でも7分29秒です。このせいか、世の中では皆既の継続時間が長いほどよい日食であるという誤った認識が流布しています。 筆者は今回が初という日食の初心者ではありますが、あえて断言します。 皆既日食は長ければいいというものではない。 むしろ食分が1に近いほど(月と太陽の大きさが限りなく近い皆既日食ほど)美しい日食であると(*)。 (*)故・村山定男先生も「皆既日食は継続時間が短いほど美しい」と仰っていたそうなので、日食マニアには常識なのかもしれません。 その理由は明快です。太陽と比較して月が大きいほど皆既日食の継続時間は長くなるのですが(*1)、大きな月は光球にごく近いプロミネンスや彩層、内部コロナを覆い隠してしまうからです。今回の日食では、黒い太陽を取り囲む彩層の深紅のリングが筆舌に尽くしがたい美しさだったのですが(*2)、これが見られるのは今回のような最大継続時間の短い日食に限られるようです。 (*1)厳密には皆既の継続時間は最大食分(月と太陽の直径の比)だけでなく、太陽の地平高度などさまざまな要素が絡んできます。 (*2)この印象を再現できた画像は筆者はまだ眼にしていません。天体写真の最終チャレンジの一つといっても過言ではないでしょう。ひょっとしたら、昨年のKAGAYAさんの展覧会の満月の作品のように、プリントに適切な照明を当てることで実現できるかもしれません。 上の画像をごらんください。左は今回の日食での第二接触(月が太陽を全て隠す最初のタイミング)の実写画像。月の視直径は約32分角。右は皆既の継続時間が7分となるような「大きな月(視直径33.5分角)」をシミュレーションしたもの。10時の方向にあるループ上のプロミネンスが全て隠され、8時の方向にある角のように突き出したプロミネンスも半分隠されてしまいました。11時の方角の内部コロナも、最も明るく輝いている部分が隠されています。 つまり大きすぎる月は皆既日食の最も美しい部分を覆い隠してしまうのです。その意味では、理想的なのはぎりぎり太陽を月が覆い隠すような皆既日食です。今回の日食の最大継続時間は約1分ですが、ツアーに参加された日食の猛者たちは「今回の日食は最高に美しかった」「最初にこんな日食を経験してしまうと、次の日食ではがっかりするかもよ」と口を揃えていました(*)。 (*)最大継続時間が2分以下の皆既日食は、近年では 2013年11月3日の金環皆既日食(最大継続時間1分40秒)、2021年12月4日の皆既日食(最大継続時間1分54秒)、2031年11月14日の金環皆既日食(最大継続時間1分5秒)があります。 日食はどんなにがんばっても数年に一回しか見られない現象なので「えり好み」していると人生が終わってしまいます。「継続時間の長い皆既日食はダメ!」とはとても言えないのですが「長けりゃいい」という考え方はあまりにも残念すぎる(*)といえるでしょう。 (*)ただし「同じ皆既日食では皆既帯の中心に近いほど良い」というのは大正義です。 ひとつだけ補足しておくと。継続時間の長い日食にも「長い」以外のいいところがあります。外部コロナの広がりを見るには、食分の大きな(≒継続時間の長い)日食ほど条件が良いといえます。食分が小さい今回の日食では月の影の直径がが50km弱ほどと小さく、あまり空が暗くならなかった(*)ようです。継続時間の長い日食ではこれが数百kmほどになり(*)、大きな月の影が空の広い部分を暗く覆うため、弱い外部コロナの広がりがよりよく見えるはずです。近年では2027年8月2日の皆既日食(最大継続時間6分23秒)が有数の継続時間で、外部コロナ狙いのチャンスといえるでしょう。 (*)太陽の地平高度が低いと月の影が斜めに地球に落ちるため皆既帯の幅が1000km近くになる場合もあります。 https://reflexions.jp/tenref/orig/2022/07/27/14129/   皆既日食を体験しよう 筆者は今回確信しました。さまざまな天文現象・天体ショーの中で、皆既日食はまぎれもなく至高の体験であると。天文ファンなら万難を排してでも生涯に一度は体験する価値があります(*)。これを見ずに死ねるか、です。 (*)皆既日食をすでに体験された方には何も申し上げることはありません。 しかし、皆既日食には3つの問題があります。一つめは多額の費用、二つめは悪天候リスク、三つめは中毒化のリスクです。 まずは費用です。筆者が参加した今回のツアーはプライベートツアーでしたので比較的低価格だったのですが、同じエクスマウスの道祖神主催の8日間ツアーは77.7万円でした。一般的に旅行会社主催のツアーはプライベートツアーの1.5倍〜2倍程度の費用がかかるとみてよいかと思いますが(*1)、加えて皆既日食は交通の不便な地域を通ることが多く、高価になりがちです。さらに近年の原油高・円安で、海外旅行のハードルはかなり上がってしまっています(*2)。 (*1)このことを忌み嫌う人もいますが、ビジネスとして旅行を企画・販売・運営する限りは当然ともいえます。 (*2)体感的にオーストラリアの物価は日本の2倍程度にも感じました。 しかし、今回の日食に関しての個人的な感想は仮に100万円であっても安い、です。お金に余裕があるなら旅行会社のツアーに、なんとか安くあげたいのであれば海外旅行経験の豊富な友人と組んで(けしかけて^^;;)個人旅行を企画する(*)のがよいと思います。 (*)「旅は道連れ」といいますが、旅行で重要なのはなんといっても「よい仲間」と共にできるかです。今回のツアーはその意味でも最高のものでした。同行した方々に深く感謝申し上げます。 二つめの問題は天候リスクです。今回の西オーストラリア・エクスマウスは、晴天率が高いことが予想され天候面で恵まれたものでした。それでも、前日・翌日は雲がそれなりにあり、雲で遮られる危険は十分にありました。来年の4月8日の北米日食では、米国東海岸は晴天率が低いと言われていますし、2035年9月2日の北陸・関東を横断する皆既日食も天候面ではリスク大です。とにかく曇ってしまうと日食は見られません。皆既日食を目にするために何回遠征しなくてはならないのか。このリスクが一番厳しいといえます(*)。 (*)日食本番が悪天候でも楽しめるようなツアーを企画するのが最善の対処法でしょう。その意味では南半球やふだん旅行する機会の少ない辺境の日食ほど総合的な満足度の期待値が高くなる可能性があります。また、天文ファンのニーズを考慮したツアー企画の立案の観点では、まだまだ工夫の余地があるかもしれません。天リフの長期課題として割と真剣に検討中です。 最後の問題は中毒化リスクです。一度皆既日食を見ると、もう一度見たくなります。筆者も費用的に「皆既日食は一生に一回でいいや」と思って今回参加したのですが、もう「次も行くしかない」モードになっています。二年に一回50万円。10年で250万、30年で750万。ヘタに嵌まると「日食貧乏」に一直線です(*)。 (*)金銭面だけでいえば、初体験がこの年齢(59)で良かったとつくづく思いますw しかし「日食中毒」に現実に罹患できる方は、いろんな意味でかなり幸せな方です。罹患した人は幸せ者だし、罹患しなければ手元にお金が残ります。今後の皆既日食では、さまざまな方が臨場感あるライブ中継を実施されるでしょうし、一度リアルの皆既日食を経験しておけば、ライブ中継を視聴するという代償行為で記憶を反芻するだけでもかなり満足できることでしょう(*)。日食中毒罹患への心配は無用とまでは断言できませんが、大きな問題ではないと思います(やや無責任^^;)。 (*)すでに自分の配信を何度も見返しては感激に浸っています^^ 最後に大事なことなのでもう一度。 皆既日食はいいぞ〜!ぜひ行きましょう。次回は2024年4月8日です! ※天リフ編集長は晴天率が高いメキシコ北部への遠征を検討中です。 まとめ 爆走「OVER SIZE」。先導車を見かけたら即路肩に退避すべし^^ かなりヤバいよ! pic.twitter.com/pqB24qWMVn — 黒・天リフ (@black_tenref) May 3, 2023 いかがでしたか? 今回の西オーストラリア遠征は日食以外にも実にさまざまな体験があったのですが、まず皆既日食に絞ってまとめてみました。何度も繰り返しますが、皆既日食はまぎれもなく最高の天文ショーであり、貴方の人生に確実に深い一撃を与えるものとなることでしょう。老若男女にかかわらず、ぜひ一度体験されることをオススメします。 最後になりましたが、今回の個人旅行ツアーの世話人をされた佐賀天文協会の副島さん、K-ASTECの川野さん、そして素晴らしいツアーの仲間たちに感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました! 皆既日食のライブ配信アーカイブ。 日食当日夜の反省会?ライブ配信。濃い内容に豪華キャスト、神回です。編集長は飲みまくって別人28号状態で、はじけ飛んでいますw編集部発信のオリジナルコンテンツ