Twitterより。「綺麗な絵が撮れる場所の情報を拡散するな」「所詮SNSレベルのロケハン力wwwのような嘲笑」、それはひょっとして価値観の押しつけ?という投稿です。

2018/8/11追記あり)記事末尾をご参照ください。

この件については編集子も以前よりいろいろ思うところがあるのですが、まだ結論には至っていません。その整理の意味で、押さえておきたい事象をいくつか書き連ねたいと思います。

人が行くところ自然は必ず荒れる

全ての人に再認識してほしいことなのですが「手つかずの自然」ほど、人が行けば必ず荒れます。「人が歩けば道になる」。湿原の木道を外れて歩けば踏み後の草は枯れます。多くの人が歩く登山道は土をえぐり、山を削ります。自然をそのままにしておきたいなら、その場所に行かないことです。

それでも人はそこに行こうとします。仕方ないのでルールや柵ができます。それでも、荒れるものは荒れていきます。

せめてルールは守りましょう。そんなルールを守らない輩をどうするのかはまた別の問題なので本稿ではパス。

有名なところには人が群がる

「来週の週末、3連休が取れることになった。さて、どこに行こうか?」やっぱり綺麗な風景を見たいですよね。ネットやガイドブックで調べてそこに行きます。そこには貴方と同じようにその場所に行き着いた人が多数。有名になるほど、人大杉。

で、それに何か問題でも?

これは当たり前のことです。人が群がるところがイヤなら行かなければいい。有名地に自分の意志で行っているのですから、やれ「人が多い」とか「この場所は終わった」とか文句を言うのは自分の家だけでやって欲しいものです。個人的な怒りをさも社会問題であるかのように大声で吹聴するのはいかがなものでしょうか。

ただし、人が群がれば中にはとんでもない人が混じります。そんな輩の香ばしい行動についてはまた別の問題なので本稿ではパス。

素晴らしい「私のポイント」が有名になって荒れてしまった

絶景のポイントは日々生産され、消費されていきます。人の少ない最高のロケーションだったお気に入りのポイントが、ふとしたきっかけで有名になり、人が群がりすっかり荒れてしまう。そういう事例は数多く聞かれます。典型的な事例をひとつご紹介しておきます。この駄文を読むよりも、こちらをじっくり読まれた方がきっと役に立つはずです。

note・「ホタルイカの身投げ」を撮って後悔している話
https://note.mu/yukisons/n/n223a66ecb5b8

こういうことが起きないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。

「撮影地は公開すべきでない」という言説はここから出ているものと推察します。論理的には一応筋が通っています。たとえば、一つ作品を投稿するだけで1000も2000もFavが付くような「著名フォトグラファー」の方が「撮影地を公開しない」というのは有益なスタンスかもしれません。しかし、これが全ての人にあまねく適用されるルールになり得るかは疑問です。そんなことはそもそも不可能です。もうひとつ「私のポイント」というものも、そこが私有地ではない限り個人の思い以上のものではないことも付け足しておきます。

「これどこで撮ったの?」厨の存在

これはオマケです。撮影地の公開はこれまで述べてきたようにデリケートな問題で、自主的に撮影地を明確にしない方はかなり多くなっています。にもかかわらず、ネットではしばしば、こういう発言が飛び出します。

「素晴らしい風景ですね。どこで撮影されたのですか?」

これは、止めましょう。貴方以外、誰のメリットにもなりません。嫌われたりブロックされる十分な理由になります。聞いた方は素直な気持ちの発露かもしれませんが、あまりにもナイーブすぎます。画像とほんの少しの情報があれば今の時代多くの撮影場所は特定可能です。本当に知りたければ自分で調べましょう。

撮影の一部としてのロケハンの楽しみ

「有名なところに人が集まる」のアンチテーゼです。別に有名なスポットではなくても、素晴らしい風景・心に刺さる風景はどこにでもある。そのかわり、自分の足で歩き、自分の眼でつぶさに見て、意識して発見しなければ見つからない。実はそれが一番楽しいのではないか。そういう立場です。

この話を「有名スポット」に当てはめて、Disり構図で脚色すると「有名地にただ集まるだけの輩は、自分の眼でちゃんと風景を見てないんじゃないの?」となります。「自分の眼でちゃんと風景を見る」のはそれなりに高いハードルなので、できない・やってないからといってDisるのはどうかと思いますが、もっともな意見です。

一つだけ、若干関連する記事をピックアップしておきます。

海外フォトグラファーのような写真が撮りたいあなたにこっそり教えるパノラマ撮影のススメ
https://arcarrsgitzo.com/overseas-overseas-technique-saizou/

注)最後半の「日本で海外っぽい写真が撮れない理由」が本稿との絡みです。日本の有名観光スポットで何がスポイルされているかが述べられています。

ネットは最高の「仮想ロケハン」ツール

良い時代になったもので、たいていの「有名スポット」の写真はネットに山のように溢れています。その場に行ってさっと眺めて帰る程度の経験であれば、別にその場所に行く必要なんてないのです。貴方がもし「素晴らしい作品を撮って多くの人に見てもらいたい」と考えているのであれば、優れた多くの作品を見るのが一番。ネットで見るだけでもたっぷり経験値を稼げます。ネットを「仮想ロケハン」ツールとして活用するのです。(もちろん、現場での経験に勝るものはありません。あくまで「準備」です)

写真に撮影地が添えられていれば「仮想ロケハンツール」の効果が大いに高まります。編集子はこの効果はけっこう大きいのではないかと考えていて、撮影スポットの正確な位置を公開するのは決してマイナスばかりではないと今のところ考えています(*)。

スター・リフレクションズ
http://reflexions.jp/blog/star/archives/category/撮影地魚眼コレクション

(*)最近あまり更新できていないのですが天体撮影に行った場所をこういう形で記録しています。

「押しつけ勢」と「押しつけるな勢」の存在

最後に。社会全体の傾向として「押しつけ勢」に対する風当たりが強くなっています。親世代、先輩世代が「押しつけ勢」だった編集子にとっては息苦しいことも多い今日この頃。「写真の基本としての水平出しの重要性」や「天体写真の基本としての北上・南上構図」をうっかり説いただけでも石が飛んできます^^;;

身勝手な「鬼軍曹」やそれを牛耳る「闇のボス」、それに盲従するだけの「いいなり君」が絶滅するのはたいへん良いことだと思いますが、「押しつけるな勢」の皆さんにおかれましては、ぜひ次の世代に受け継ぐ価値のある「よいコモンセンス」の形成にほんの少し心を砕いて頂くのも良いかと思います。

 

2018/8/11追記)
ツイ主のR.U.さんより本件について以下のリプライがありました。

いくつかコメントさせていただきます。

R.U.さんのツイを「石を投げる行為」として非難する意図はありませんでしたが、そのように受け止められたとしたら当方の書き方に問題があったものと思います。ツイ主様の本来の趣旨を大きく外れて論旨展開している記事であることは気になっていました。また、ツイ主様の見解の前段部分は大いに合意するものです。この意見がもし「石」であるなら、それは「投げられるべき石」だと思います。

条件反射としてネット上で投げられる石、個人の一つの思想の発露として投げられる石。ネット上で石を投げることが全ての人に開かれています。それが「玉」なのか「石ころ」なのか、その行為がどんな意味と価値を持つのか。難しいですね。編集子の表現力ではこれ以上は語れません。

一つ言えることは、ネット上では「石ころ」の「雨」がある日突然降り注ぎ、多くの人を巻き込んで数日後には何事もなかったのように通り過ぎることがある、ということでしょうか。

⑦については、余計なことを書いたと思いつつも、一番伝えたかったことでもります。我々が未だに作り得ていない「次の世代にも希望とリスペクトをもって継承されるような価値観」を、ぜひ若い世代の人たちには構築してもらいたい、という勝手な希望でした。

いろいろ分かりにくくてすみません。

ネットでの「撮影地の拡散」にまつわる7の事象http://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2018/07/7d7217b45746285da4837e7d0cf0a461.pnghttp://reflexions.jp/tenref/orig/wp-content/uploads/sites/4/2018/07/7d7217b45746285da4837e7d0cf0a461-150x150.png編集部ピックアップTPODTwitterより。「綺麗な絵が撮れる場所の情報を拡散するな」「所詮SNSレベルのロケハン力wwwのような嘲笑」、それはひょっとして価値観の押しつけ?という投稿です。 2018/8/11追記あり)記事末尾をご参照ください。 https://twitter.com/astr0dab0/status/1023925240148062211 この件については編集子も以前よりいろいろ思うところがあるのですが、まだ結論には至っていません。その整理の意味で、押さえておきたい事象をいくつか書き連ねたいと思います。 人が行くところ自然は必ず荒れる 全ての人に再認識してほしいことなのですが「手つかずの自然」ほど、人が行けば必ず荒れます。「人が歩けば道になる」。湿原の木道を外れて歩けば踏み後の草は枯れます。多くの人が歩く登山道は土をえぐり、山を削ります。自然をそのままにしておきたいなら、その場所に行かないことです。 それでも人はそこに行こうとします。仕方ないのでルールや柵ができます。それでも、荒れるものは荒れていきます。 せめてルールは守りましょう。そんなルールを守らない輩をどうするのかはまた別の問題なので本稿ではパス。 有名なところには人が群がる 「来週の週末、3連休が取れることになった。さて、どこに行こうか?」やっぱり綺麗な風景を見たいですよね。ネットやガイドブックで調べてそこに行きます。そこには貴方と同じようにその場所に行き着いた人が多数。有名になるほど、人大杉。 で、それに何か問題でも? これは当たり前のことです。人が群がるところがイヤなら行かなければいい。有名地に自分の意志で行っているのですから、やれ「人が多い」とか「この場所は終わった」とか文句を言うのは自分の家だけでやって欲しいものです。個人的な怒りをさも社会問題であるかのように大声で吹聴するのはいかがなものでしょうか。 ただし、人が群がれば中にはとんでもない人が混じります。そんな輩の香ばしい行動についてはまた別の問題なので本稿ではパス。 素晴らしい「私のポイント」が有名になって荒れてしまった 絶景のポイントは日々生産され、消費されていきます。人の少ない最高のロケーションだったお気に入りのポイントが、ふとしたきっかけで有名になり、人が群がりすっかり荒れてしまう。そういう事例は数多く聞かれます。典型的な事例をひとつご紹介しておきます。この駄文を読むよりも、こちらをじっくり読まれた方がきっと役に立つはずです。 note・「ホタルイカの身投げ」を撮って後悔している話 https://note.mu/yukisons/n/n223a66ecb5b8 こういうことが起きないようにするにはどうしたらよいのでしょうか。 「撮影地は公開すべきでない」という言説はここから出ているものと推察します。論理的には一応筋が通っています。たとえば、一つ作品を投稿するだけで1000も2000もFavが付くような「著名フォトグラファー」の方が「撮影地を公開しない」というのは有益なスタンスかもしれません。しかし、これが全ての人にあまねく適用されるルールになり得るかは疑問です。そんなことはそもそも不可能です。もうひとつ「私のポイント」というものも、そこが私有地ではない限り個人の思い以上のものではないことも付け足しておきます。 「これどこで撮ったの?」厨の存在 これはオマケです。撮影地の公開はこれまで述べてきたようにデリケートな問題で、自主的に撮影地を明確にしない方はかなり多くなっています。にもかかわらず、ネットではしばしば、こういう発言が飛び出します。 「素晴らしい風景ですね。どこで撮影されたのですか?」 これは、止めましょう。貴方以外、誰のメリットにもなりません。嫌われたりブロックされる十分な理由になります。聞いた方は素直な気持ちの発露かもしれませんが、あまりにもナイーブすぎます。画像とほんの少しの情報があれば今の時代多くの撮影場所は特定可能です。本当に知りたければ自分で調べましょう。 撮影の一部としてのロケハンの楽しみ 「有名なところに人が集まる」のアンチテーゼです。別に有名なスポットではなくても、素晴らしい風景・心に刺さる風景はどこにでもある。そのかわり、自分の足で歩き、自分の眼でつぶさに見て、意識して発見しなければ見つからない。実はそれが一番楽しいのではないか。そういう立場です。 この話を「有名スポット」に当てはめて、Disり構図で脚色すると「有名地にただ集まるだけの輩は、自分の眼でちゃんと風景を見てないんじゃないの?」となります。「自分の眼でちゃんと風景を見る」のはそれなりに高いハードルなので、できない・やってないからといってDisるのはどうかと思いますが、もっともな意見です。 一つだけ、若干関連する記事をピックアップしておきます。 海外フォトグラファーのような写真が撮りたいあなたにこっそり教えるパノラマ撮影のススメ https://arcarrsgitzo.com/overseas-overseas-technique-saizou/ 注)最後半の「日本で海外っぽい写真が撮れない理由」が本稿との絡みです。日本の有名観光スポットで何がスポイルされているかが述べられています。 ネットは最高の「仮想ロケハン」ツール 良い時代になったもので、たいていの「有名スポット」の写真はネットに山のように溢れています。その場に行ってさっと眺めて帰る程度の経験であれば、別にその場所に行く必要なんてないのです。貴方がもし「素晴らしい作品を撮って多くの人に見てもらいたい」と考えているのであれば、優れた多くの作品を見るのが一番。ネットで見るだけでもたっぷり経験値を稼げます。ネットを「仮想ロケハン」ツールとして活用するのです。(もちろん、現場での経験に勝るものはありません。あくまで「準備」です) 写真に撮影地が添えられていれば「仮想ロケハンツール」の効果が大いに高まります。編集子はこの効果はけっこう大きいのではないかと考えていて、撮影スポットの正確な位置を公開するのは決してマイナスばかりではないと今のところ考えています(*)。 スター・リフレクションズ http://reflexions.jp/blog/star/archives/category/撮影地魚眼コレクション (*)最近あまり更新できていないのですが天体撮影に行った場所をこういう形で記録しています。 「押しつけ勢」と「押しつけるな勢」の存在 最後に。社会全体の傾向として「押しつけ勢」に対する風当たりが強くなっています。親世代、先輩世代が「押しつけ勢」だった編集子にとっては息苦しいことも多い今日この頃。「写真の基本としての水平出しの重要性」や「天体写真の基本としての北上・南上構図」をうっかり説いただけでも石が飛んできます^^;; 身勝手な「鬼軍曹」やそれを牛耳る「闇のボス」、それに盲従するだけの「いいなり君」が絶滅するのはたいへん良いことだと思いますが、「押しつけるな勢」の皆さんにおかれましては、ぜひ次の世代に受け継ぐ価値のある「よいコモンセンス」の形成にほんの少し心を砕いて頂くのも良いかと思います。   2018/8/11追記) ツイ主のR.U.さんより本件について以下のリプライがありました。 https://twitter.com/astr0dab0/status/1027926048980131840 いくつかコメントさせていただきます。 R.U.さんのツイを「石を投げる行為」として非難する意図はありませんでしたが、そのように受け止められたとしたら当方の書き方に問題があったものと思います。ツイ主様の本来の趣旨を大きく外れて論旨展開している記事であることは気になっていました。また、ツイ主様の見解の前段部分は大いに合意するものです。この意見がもし「石」であるなら、それは「投げられるべき石」だと思います。 条件反射としてネット上で投げられる石、個人の一つの思想の発露として投げられる石。ネット上で石を投げることが全ての人に開かれています。それが「玉」なのか「石ころ」なのか、その行為がどんな意味と価値を持つのか。難しいですね。編集子の表現力ではこれ以上は語れません。 一つ言えることは、ネット上では「石ころ」の「雨」がある日突然降り注ぎ、多くの人を巻き込んで数日後には何事もなかったのように通り過ぎることがある、ということでしょうか。 ⑦については、余計なことを書いたと思いつつも、一番伝えたかったことでもります。我々が未だに作り得ていない「次の世代にも希望とリスペクトをもって継承されるような価値観」を、ぜひ若い世代の人たちには構築してもらいたい、という勝手な希望でした。 いろいろ分かりにくくてすみません。編集部発信のオリジナルコンテンツ