編集部ピックアップ、今日の一枚。

能登半島の先端部、真脇遺跡の「環状木柱列」の真ん中から見上げた夏の大三角。

「真脇遺跡」は、縄文時代に反映した集落の遺跡、「環状木柱列」は、そこで発掘された巨大なウッドサークル。何のための施設だったのかはよくわかっていないそうです。

この作品に写っている「環状木柱列」は復元されたものですが、縄文人もこの風景を見上げたであろうことを実感せざるを得ません。宇宙に対する畏敬を表す祝祭の施設だったのか、はてまた宇宙人との交信施設だったのか^^;;

歴史を越えた人類と宇宙の関係を実感する作品です。


参考リンク)

travel.jp
約4,000年栄えた縄文文化が奥能登に!
写真:Eiichi Yoshioka

真脇遺跡は昭和57年から始まった発掘調査によって発見され、縄文時代の前期(約6,000年前)から晩期終末(約2,300年前)までの約4,000年の間に繁栄し続けた集落であったことがわかっています。

真脇遺跡の観光ガイド。
「環状木柱列」も紹介されています。

真脇遺跡HP・なぞの環状木柱列
http://www.mawakiiseki.jp/woodcircle.html

この環状木柱列がいったいどのような構造をしていたのか、何のための施設だったのか、それらはよくわかっていません。今のところ、柱列の中に炉や墓坑などは確認されておらず、住居や墓ではなかったことはわかっています。屋根や壁などの付属施設のようなものもなく、柱だけが立っていたと考えられています。また、当時の人々が何らかのマツリを行う施設であったのではないか、とも言われています

遺跡の公式HP。
復元された「環状木柱列」の写真がないのが大いに残念ですが、発掘された木柱の詳細な配置が記載されています。

 

https://reflexions.jp/tenref/gallery/wp-content/uploads/sites/3/2017/07/0714tsuchikawa_s.jpghttps://reflexions.jp/tenref/gallery/wp-content/uploads/sites/3/2017/07/0714tsuchikawa_s-150x150.jpg編集部星景構造物夏の大三角,全天編集部ピックアップ、今日の一枚。 https://twitter.com/noto20625/status/880690542564265984 能登半島の先端部、真脇遺跡の「環状木柱列」の真ん中から見上げた夏の大三角。 「真脇遺跡」は、縄文時代に反映した集落の遺跡、「環状木柱列」は、そこで発掘された巨大なウッドサークル。何のための施設だったのかはよくわかっていないそうです。 この作品に写っている「環状木柱列」は復元されたものですが、縄文人もこの風景を見上げたであろうことを実感せざるを得ません。宇宙に対する畏敬を表す祝祭の施設だったのか、はてまた宇宙人との交信施設だったのか^^;; 歴史を越えた人類と宇宙の関係を実感する作品です。 参考リンク) travel.jp 約4,000年栄えた縄文文化が奥能登に! 真脇遺跡は昭和57年から始まった発掘調査によって発見され、縄文時代の前期(約6,000年前)から晩期終末(約2,300年前)までの約4,000年の間に繁栄し続けた集落であったことがわかっています。 真脇遺跡の観光ガイド。 「環状木柱列」も紹介されています。 真脇遺跡HP・なぞの環状木柱列 http://www.mawakiiseki.jp/woodcircle.html この環状木柱列がいったいどのような構造をしていたのか、何のための施設だったのか、それらはよくわかっていません。今のところ、柱列の中に炉や墓坑などは確認されておらず、住居や墓ではなかったことはわかっています。屋根や壁などの付属施設のようなものもなく、柱だけが立っていたと考えられています。また、当時の人々が何らかのマツリを行う施設であったのではないか、とも言われています 遺跡の公式HP。 復元された「環状木柱列」の写真がないのが大いに残念ですが、発掘された木柱の詳細な配置が記載されています。  読者の傑作画像をピックアップ