お出かけガイド

天体望遠鏡博物館・天体望遠鏡と日本の光学産業の歴史、そして生の星空に触れる体験


世界は広い。世の中にはいろんなものがあり、私たちのまったく知らなかった世界が存在します。そんな「全く新しい世界」に触れる体験をしてみたいと思いませんか?四国・香川県にそんな「激レア」なスポットがあります。その名も「天体望遠鏡博物館」。

「天体望遠鏡」は名前くらいはご存じでしょう。はい、夜空の星を見るための道具です。学校や近くの科学館などでごらんになった方もいらっしゃるでしょう。でも、そんな望遠鏡を何百台も収めた「博物館」があることはたぶんご存じないはず。今回はその「天体望遠鏡博物館」とその面白さに迫ります!

こんな人のための記事です!

レアな世界のレアな体験をしてみたい!

星空や天体望遠鏡に関心がある

ガチガチの天文マニア!

天体望遠鏡博物館の受付前。大きな看板と巨大な「コスモサイン(天文時計)」が置いてあります。これも寄付されたものです。
一般社団法人・天体望遠鏡博物館・公式HP
http://www.telescope-museum.com/telescope/
天リフ編集長
天リフ編集長
日本にも世界にもたった一つしかない「天体望遠鏡専門の博物館」。まったく星や天文に関心のなかった人でもいろんな発見と気づきが体験できる場所です!

見どころ

 

五藤光学のプラネタリウム投影機。熊本で最近まで現役で稼働した機器ですが、地震の関係で退役して天体望遠鏡博物館に移設されました。

それでは、天体望遠鏡博物館の展示物の見どころを順にご紹介していきましょう。

大型天体望遠鏡展示棟

「五藤光学研究所」製の大型屈折望遠鏡。昭和の後期。日本が高度経済成長の最中にあったこの時代、日本各地の教育機関に数多くの天文台が設置されました。時代の流れで行き先がなくなり、この博物館に寄贈されたものです。

天体望遠鏡博物館は、廃校となった「多和小学校」を利用してオープンしました。受付のあるこのフロアは、元室内プールだったそうです。そのプールを埋め立てて、数多くの大型天体望遠鏡が設置されています。

簡単に移動することのできない大型望遠鏡群ですが、ほとんど全てがクリーニング・メンテナンスがなされ、いつでも稼働可能な状態に手入れされています。当日は、写真右のスタッフのおひとりTANKOさんにご案内いただきました。

これほどまでの天体望遠鏡がある空間は、世界広しといえどもここしかないでしょう。その存在感に圧倒されます。

天体望遠鏡のレンズの材料となる、光学ガラス・溶融石英などインゴット。高度成長時代以降、日本の天体望遠鏡産業は世界をリードする存在になっていました。

大型望遠鏡観測室

旧・校舎に隣接する形で新たに建造された大型望遠鏡観測室。屋根がスライドして開くようになっていて、ここから望遠鏡を操作して天体観測をすることができます。晴れた日には昼間に太陽の黒点やプロミネンス(紅炎)などを見ることができます。

あいにくの曇天(この後、雨までふってきました^^;;)でしたが、屋根を開けた状態も見せていただくことができました。天の川もバッチリ見ることのできる環境だそうです。

架台はユーハン工業製。筆者は中学時代に大宇陀観測所に見学に行ったことがあり、その時以来40年ぶりにこの望遠鏡に再会しました^^

こちらは2017年に京都大学の大宇陀観測所から移設された口径60cmRC反射望遠鏡。こちらは建屋全体がスライドして開く構造になっています。某大手物置メーカーの倉庫ユニットを使用し製作されたそうです。

観測室で、興味津々にスタッフからの説明を受ける子供達。「この写真はね、この場所から撮影したんですよ。天の川がこんなによく見えるんです。」

小型望遠鏡展示室

旧・校舎の2階の4つの教室には、小型の望遠鏡が多数展示されています。こちらはメーカー別の天体望遠鏡の展示の一つ、旭光学工業(ペンタックス)のコーナー。2009年に天体望遠鏡本体の製造販売からは撤退してしまいましたが(*)、今での多くのファンに愛されているブランドです。

(*)今も天体望遠鏡用の接眼レンズなど、天文関連製品の製造販売は継続されています。

こちらは高橋製作所のコーナー。ビクセンと並ぶ日本の大手天体望遠鏡メーカーの一つです。これらの天体望遠鏡は今でも多くのアマチュアに愛用されているものです。

高度成長期の科学少年・少女の憧れだった天体望遠鏡。ミザール・アストロ・ビクセンの3社が当時「御三家」と呼ばれていました。

天文図書室

3階の天文図書室。膨大な天文書・天文雑誌が収蔵されていて、閲覧することもできます。雑誌のバックナンバーは創刊からほぼ全てが揃っています。

反射望遠鏡は、2枚の円形のガラス板と6種類ほどの研磨材を使って、アマチュアでも比較的簡単に製作することができ、昭和時代のコアな天文アマチュアの多くは鏡面研磨にいそしみました。左端の円筒形のケースはキット販売されていた反射望遠鏡研磨セットのもの。

図書室には、日本の反射望遠鏡研磨の名人である中村要さん・木辺成麿さん・苗村孝夫さんの手による反射鏡が展示されていました。

少子高齢化・低成長による財政難が顕在化している今の時代。「過去の遺産を未来に残す」ことは、どちらかといえば優先度が低い扱いになっているのではないでしょうか。

筆者は文教行政や科学教育の現状には明るくないので、そのことについて何かを論ずるつもりはありません。一人の科学好き・天文好きの一般人として思うだけなのですが、後世に残すべき価値のある歴史と文化がある限り、それらを何らかの形で伝承していくことは現世を生きる者の使命ではないかと考えています。

その意味で「天体望遠鏡博物館」は、日本の科学史・工業史の一つのモニュメントだと思います。これは守り続けられるべき場所です。自分にとって「もう一度訪れてみたい場所」の一つとして深く記憶に残りました。

科学と文化、そしてその継承

北緯51度のイギリスを想定した架台で、約15度の緯度差を補正するためにかなり前のめりに設置されていたそうです。

日本の天体望遠鏡史の序章ともいうべき、かつて京都帝国大学・花山天文台にあったカルバー46cm望遠鏡(1927年設置)。当時「東洋一」の望遠鏡だったそうです。その後、日本の天文学・アマチュア天文界の父ともいうべき故・山本一清博士の私設天文台に移設されました。

人工衛星にレーザーを当てて観測し、緯度経度の基準点を精密に測定するための望遠鏡。和歌山県の海上保安本部下里水路観測所に1982年〜2009年まで使われていましたが、GPSの登場でその役目を終えたのでした。

「なぜ天体望遠鏡を何百台も集めたんですか?」「まあ、世の中にはいろんな人間がいる。それだけのことでしょう」それだけのこととは思えなかった。天体望遠鏡を五百台集めるのは、ワインのラベルを五百枚集めるのと少々訳が違う。(hommage:1973年のピンボール)

昭和後期の「天文少年」たちが愛用していたであろう天体望遠鏡の数々。レンズを通してそれぞれの夢を眼に焼き付けたのでしょう。そして今も、いつでも現役出動可能な状態に整備されています。

天体望遠鏡の経済史。1985年ごろのハレー彗星ブームまでは右肩上がりで、その後「安定期」が続いています。

いろいろなものには「寿命」がある。形あるもの、宇宙さえも永遠ではありません。しかし、それを次の世代に伝え残そうという気持ちがある限り、絶えることはないはずです。天体望遠鏡博物館には、人が星を見つめてきた歴史がそのままの形で残っているのです。

過疎地の廃校の再利用

天体望遠鏡博物館は、廃校となった「多和小学校」の校舎を利用しています(*)。小学校だったころの黒板や椅子、張り紙などもほとんどそのまま。

(*)天体望遠鏡博物館ともうひとつ、「多和産直 結願の郷けちがん さと」が併設されています。

黒板に書かれた詩「夕日が背中をおしてくる」。天体望遠鏡博物館があるかぎり、この黒板はそのままの形で残されていくのでしょう。

全てボランティアと寄付による運営

訪問した日は2019年の最終開館日で、開館終了後、ボランティアスタッフの方々の納会中での一コマ。

「職員室」をそのまま利用したスペースがスタッフの「事務室」になっています。入り口のドアを開けると、なんだか懐かしい「職員室の匂い」がしました^^

天体望遠鏡博物館の収容機材の多くは全国各地の篤志家からの寄付によるもの。天体望遠鏡博物館の知名度が上がるにつれ、全国から続々と寄付がよせられているそうです。寄付された望遠鏡はスタッフの手で丁寧にメンテナンスされ、展示されていきます。

天体望遠鏡博物館の創始者、代表理事の村山昇作さん

四国・関西を中心に、西は九州から東は北海道まで、幅広い地域・年齢層・経歴のボランティアスタッフが100名ほども登録されています。見学に来たあと、即登録となったメンバーも多いそうです。

これらのボランティアスタッフが、それぞれの時間をやりくりして博物館は運営されています。この博物館の運営経費はほとんどが個人と法人からの寄付でまかなわれています。スタッフの交通費も手弁当。これって凄くないですか?(*)

(*)このようなすばらしい事業が、多くの篤志家たちの手で支えられているという事実を実感して欲しいと思います。

天体望遠鏡博物館探訪ガイド

さぬき市から県道3号線を南へ20キロほど山のほうへと登っていくと、白いドームに「天体望遠鏡博物館」の文字が。

ロケーションと営業日

天体望遠鏡博物館は、香川県の東、徳島との県境近くの山地にあります。車なら高松自動車道志度IC、徳島道脇町IC、高松ICなどで下車。わかりやすい建物なので、ナビを入れれば迷うことはないでしょう。

公共交通機関の場合はさぬき市のコミュニティバスが利用できます。1日4往復なのでしっかり時刻を調べておいてくださいね!

注意が必要なのは、原則「土日のみの開館」であることです。祝日になる金曜・月曜も開館ですが、年末年始などは閉館。こちらから開館日を確認してくださいね!開館時間は午前10時から16時まで。ボランティアスタッフによる館内ツアーもあります。入館料は大人500円、高校生・大学生400円、小・中学生300円です。

観望会・工作教室などのイベント

天体望遠鏡博物館では、「夜間天体観望会」「初心者向け天体望遠鏡工作教室」「天体望遠鏡使い方教室」のイベントが開催されています(要予約、一部有料)。

2020年に開催されるイベントなど、上のリンク先の記事が参考になります。こちらもあわせてごらんください!

天体望遠鏡博物館HPより。 http://www.telescope-museum.com/year/

四国は日本でも有数の「星がよく見える」地方でもあります。上の画像は天体望遠鏡博物館で撮影された天の川ですが、特に南側には大きな街もなく、星空は絶品。都市部の「天体観望会」とは段違いの美しい星空を、収蔵の天体望遠鏡で見ることができます。

周辺観光スポット

うどん

世の中のうどんは2種類しかない。香川のうどんとそれ以外のうどんだ!「長田in香の香」のかまあげうどん。筆者のイチオシです。出汁のお代わりが有料になっていました^^;;

香川県はうどん県。今ではすっかりメジャーになった香川のうどんですが「安い」「うまい」「ハズレがない」のが香川県。天体望遠鏡博物館に行ったら讃岐うどん、讃岐うどんの旅にはぜひ「天体望遠鏡博物館」を!

淡路島・鳴門

大鳴門橋を望む大毛島、竜宮の礒付近で。

関西方面から天体望遠鏡博物館へのアクセスは淡路島から高松道になることでしょう。鳴門の渦潮は春の大潮のシーズンが特にみごろです。また、大鳴門橋のすぐ近くにある大塚美術館も一見・必見の価値ありです。

まとめ

天体望遠鏡が一番売れた1980年代から90年代にかけてのアマチュア向け小型天体望遠鏡。

いかがでしたか?

筆者のようなガチガチの天文マニアであり天体望遠鏡マニアにとっては、天体望遠鏡博物館はまさに「聖地」と呼ぶべき場所でした。天文ファンなら一度はここを訪れてみるべきです。

しかし天体望遠鏡博物館は、そんな「マニア」でない人にこそ、訪れて欲しい場所だと思いました。近代科学を拓いてきた「天体望遠鏡」という道具は、それ自体がオブジェとして強い存在感を持っています。また、戦後の日本の経済成長と発展の中、科学少年・少女に与えてきた「夢」の象徴でもあります。

何よりも、そんな「天体望遠鏡」を次の世代に残していこうという人たちが生んだ、奇跡とも呼ぶべき存在がこの「天体望遠鏡博物館」なのです。科学とその文化を残し継承すること。そのために自分は何ができるのか。それを実際にやってしまったのがこの場所なのです。

ぜひこの地を訪れて、この場を生みだした「何か」をぜひ感じてほしいと思います。

日本の反射望遠鏡製作・天体写真の草分けのお一人、故・星野次郎さんの自作20cm反射望遠鏡
天リフ編集長
天リフ編集長
星野次郎さんは1970年代に天文少年として過ごした筆者にとって神様のような存在です。

フォトギャラリー

天文マニアのために、濃い目の見どころをフォトギャラリーとしてまとめました。ここにご紹介した以外にも、収蔵品はまだまだたくさんあります。ぜひご自分の眼で、それらをじっくりと見学してみてくださいね!

幻のユニトロン15cm屈折赤道儀。

ニコンの大型屈折望遠鏡。左は西村製作所製、アマチュア天文家の草分けである改發さんの15cm屈折望遠鏡。レンズは中村要さんの製作。

いつかは、ニコン。1970年代は高嶺の花だったニコンの8cm屈折赤道儀。

法月技研製の60cm望遠鏡。創業者の法月惣次郎さんは世界的に有名な天体望遠鏡製作の「職人」。数々の天文台・研究機関に対して、生涯で約400台の望遠鏡を製作したと言われています。

西村製作所の創業者、西村繁次郎さんの天体望遠鏡コレクション。

反射望遠鏡製作の名人、苗村孝夫さんが使用されていた大型反射鏡用の研磨機。「寄付いただいたこの機械を搬出するときに、少し寂しそうな顔をされていたのが印象的でした」。

反射望遠鏡のメッキ用蒸着器。このタンクの中を真空にして、アルミニウムを蒸着します。

今は太陽望遠鏡といえばHα光で観察する望遠鏡がイメージされますが、昔はシーロスタットやシデロスタットでした。熊本市立博物館から移設されたシデロスタットをはじめ、多数の太陽望遠鏡も収蔵されています。

昭和初期の天体望遠鏡群。

実は筆者が最初に触れた望遠鏡がこれでした。

珍しい伸縮型鏡筒の反射望遠鏡、エイコーのSTH-115。

こちらもエイコー製。当時「一眼レフ式」と銘打って販売されていた「スカイレーダー型」ファインダーの光軸合わせが不要であるのがウリ。

伝説のダウエル。五藤光学と同じくらい昔から天体望遠鏡の販売を行っていたようです。

ダウエル社の看板。

五藤光学の、Mark-Xの3世代ほど前?の赤道儀。左の経緯台は、なんとなくツァイスっぽいデザイン。

ボランティアスタッフのお一人、白川さんによる企画展「小型天体望遠鏡の歴史」が展示中でした。こちらはスーパーチビテレとファミスコ。

「どうしてカイザー型ばかり8台も集めたのですか?」「当時の日本には・・たくさんのカイザー型があったのです」

8台ならんだ、ミザールの「カイザー型」8cm屈折望遠鏡。天体望遠鏡博物館を訪問された多くの方が、ブログ等にこの写真をアップされています。

代表理事の村山さんが八ヶ岳に建設された私設天文台の紹介記事。

オールドファンならみんな知っている、NTKの反射望遠鏡製作キット。うなぎのタレのような容器に入ったピンク色の粉が酸化セリウム。黒いのは最終の研磨工程で使用するピッチ(アスファルト)。

群馬の「ギガオプト」の店内にあったものと同じ、恐竜の「3Dポスター」が。


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