太古の昔、人々は夜空の星並びに自分たちの神話や文化を投影し「星座」を作ってきました。上のツイートは南半球のブラジルで、先住民族がオリオン座とヒアデス・プレアデス星団を繋いで「老人」に見た立ていた、という話です。

「星座」という存在が一度頭の中に刻まれると、星空と星座は不可分のものになります。昇ったり沈んだりする星座の位置で季節感を感じ、星座をその裏側の物語を下敷きに語るようになります。

これは9割くらいは星見の楽しみを大きくする要素ですが、星座の根本にあった「星並びに対して想像力を働かせて何かを投影する」「それを語り継ぎ伝承する」という行為が「既に終わってしまっている」という点では、ちょっと残念なことかもしれません。

子供のころ、「宇宙のどこかのまったく違う星に行って、まだ見たこともない星々を眺めたり写真に撮ったりしたい」という夢を描いていたことがありました(*)。

(*)別の宇宙に行かなくても、タイムマシンで億年オーダーで時代を飛び越えれば同じ体験ができるでしょう。

現在確立した88星座の体系は、人類が一度滅びない限り再構築されることはないでしょうが、人類の営みの中には随所に「想像力による物語の構築とその伝承」が、現れては消えていきます。

余談ですが、将棋の羽生永世七冠が七冠王だったころ、「神様が一つ願いを叶えてくれるとしたら?」というと言いに、「頭の中の全ての定石を消し去ってみたい」と答えられたそうです(*)。定石という固定観念を全てリセットしたときに、自分は何をどう考えてどんな手を指すのか、それに興味がある。という意味だそうです。

(*)1995年ごろ。徳島の渭水苑で行われたタイトル戦の前夜祭で知人が質問した話。

まあ何が言いたいかというと、長い時間の中で伝承されてきたものには大きな価値があるし、それに縛られずに自由に発想することも素晴らしいことである、というあえて書くまでもないことでした^^;