木星の大赤斑。巨大な赤い木星の渦ですが、年々縮小していることが知られています。

RB星のブログ
木星 2017/04/05-06

木星のベテラン観測者の手による「RB星のブログ」から、一昨日の木星面です。大赤斑がど真ん中、迫力の画像です。



冷却CCDカメラによる動画撮影により、木星面は一昔前の惑星探査機並みのクオリティで観測されるようになりました。

昔(といっても30年くらい前ですが)のボイジャー探査機による木星の画像を知る人にとっては、「妙に小さい!」と感じられることでしょう。

The Planetary Society of Japan
ウェブアーカイブス・Jupiter – 木星 Chapter 1

1979年01月24日、探査機ボイジャー1号が木星に4.000万キロまで接近して撮影した画像である。表面には、明るい帯と暗い縞が交互に並んでいる。探査機の観測により、これ等の帯や縞の内側では極めて複雑な大気流が渦巻いていることが分かった。表面には赤色や白色の斑点もあり、この中で最も大きいのが、大赤斑(画面中央下)として知られている巨大な嵐のメカニズムである。左下に見えるのは、太陽系最大の衛星ガニメデである。

日本惑星研究会のHPより、38年前の惑星探査機ボイジャー1号による画像。今よりも大赤斑がずっと大きいですよね?
Wikipediaによると大赤斑はこの150年間で半分以下の大きさまで小さくなってしまっているそうです。

19世紀後半には上のボイジャーの撮影時よりもさらに倍ほどの大きさがあったとか・・・

いろいろ探してみましたが、エティエンヌ・レオポール・トルーヴェロによる1880年のスケッチがGoogleさんより多く出てきます。

Daily News Agency(デイリーニュースエージェンシー)
1800年代後半に描かれた、とても貴重な天文観測イラスト12枚

1880年11月1日21時30分に観測した木星の大赤斑イラスト。

確かに・・・大きいです。
他のイラストを見る限り、写実的というより絵画的な印象、実際の所は想像するしかありません。

RB星のブログ
第33回木星会議 in 東京 2009/09/05 1日目

過去の大赤斑のスケッチです。大きな大赤斑もありますね!

「RB星のブログ」にあった、第33回木星会議での発表資料。
詳細は不明ですが、1873年〜1882年までのスケッチのようです。
「Load Rosse」とあるのは、有名なロス卿の手によるものでしょうか?でもWikipediaでは没年1867年なので合いませんね・・・

(追記4/17 03:40)
読者の方より情報を頂きました。全文をご紹介します。HIROPONさん、情報ありがとうございました。

Rosseの名前が出ている木星のスケッチですが、おそらくイギリスの天文学者ラルフ・コープランド(Ralph Copeland, 1837-1905)がロス卿の望遠鏡で観測、作成したものではないかと思います。



コープランドはロス卿から資金援助を受けていて、観測ももっぱらロス卿所有の望遠鏡を使って行っていたとのこと。引用されているスライド上で、スケッチ作成者が「Rosse & Copeland」と連名になっているのはそのためでしょう。

なお、「ロス卿」ことウィリアム・パーソンズ(William Parsons)の長男、第4代ロス伯爵ローレンス・パーソンズ(Lawrence Parsons, 1840-1908)も引き続き天体観測を行っていたそうなのでここにある「Rosse」が彼である可能性もありますが、この文脈で断りなしに「Rosse」と書かれれば、ウィリアムを指すのが普通でしょう

(追記終わり)

150年も経つと、情報は散逸してなかなか見つからないものなのでしょうか。Googleさんはしょせん広告業なので、そんな昔のアーカイブを期待しても仕方ないのでしょうが・・

19世紀の木星がどうだったか?
興味津々なのですが、情報をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひ本記事にコメント下さいm(_ _)m

(追記4/7 9:40)
読者の方より情報を頂きました。I澤さん、情報ありがとうございました。

月惑星研究会
天文ガイド 惑星サロン 2008年5月号 (No.68)

[図] 大赤斑とカシニの斑点 (左) カシニの斑点(1672年) (中央) 初期の大赤斑(1879年) (右) 現在の大赤斑(2007年、Go)

「月惑星研究会」のHPより。
天文ガイド誌に連載している『惑星の近況』のバックナンバーから。
1879年撮影の木星の写真のようです。
前2点のスケッチと酷似していますね。

乾板写真の発明が1871年ですから、ごく初期の写真技術によるものでしょうか。

その左はさらにその200年前、カシニによるスケッチ。
これが現在の大赤斑と同じものなのか別物なのかは諸説あるようですが、上記記事では別物ではないかと推定されています。

(追記終わり4/7 9:40)

この木星が明日4月8日に衝を迎えます。また、10日から11日にかけて、月と接近します。

「天文リフレクションズ」の最新の惑星情報は以下のリンクからどうぞ!
http://reflexions.jp/tenmon/articles.html?uniqueTag=GWpIa9IlCL

国立天文台HP
月が木星に接近(2017年4月)

観望好機の木星と月の競演

4月8日に衝を迎えた木星が観望の好機を迎えています。衝の時期の木星は、日の入りの頃、東の空から昇り、真夜中頃に南中し、日の出の頃に西の空に沈んでいきます。木星のすぐ近くにはおとめ座の1等星スピカがみつかります。1.0等のスピカに対してマイナス2.5等の木星はひときわ明るく見えるでしょう。

今の時期、木星は日没後には東の空にあり、おとめ座の一等星スピカの近くに一晩中見えています。マイナス2.5等の木星は街中でもはっきり明るく見えるでしょう。 編集部サイエンス  木星の大赤斑。巨大な赤い木星の渦ですが、年々縮小していることが知られています。 RB星のブログ 木星 2017/04/05-06 木星のベテラン観測者の手による「RB星のブログ」から、一昨日の木星面です。大赤斑がど真ん中、迫力の画像です。 冷却CCDカメラによる動画撮影により、木星面は一昔前の惑星探査機並みのクオリティで観測されるようになりました。 昔(といっても30年くらい前ですが)のボイジャー探査機による木星の画像を知る人にとっては、「妙に小さい!」と感じられることでしょう。 The Planetary Society of Japan ウェブアーカイブス・Jupiter - 木星 Chapter 1 1979年01月24日、探査機ボイジャー1号が木星に4.000万キロまで接近して撮影した画像である。表面には、明るい帯と暗い縞が交互に並んでいる。探査機の観測により、これ等の帯や縞の内側では極めて複雑な大気流が渦巻いていることが分かった。表面には赤色や白色の斑点もあり、この中で最も大きいのが、大赤斑(画面中央下)として知られている巨大な嵐のメカニズムである。左下に見えるのは、太陽系最大の衛星ガニメデである。 日本惑星研究会のHPより、38年前の惑星探査機ボイジャー1号による画像。今よりも大赤斑がずっと大きいですよね? Wikipediaによると、大赤斑はこの150年間で半分以下の大きさまで小さくなってしまっているそうです。 19世紀後半には上のボイジャーの撮影時よりもさらに倍ほどの大きさがあったとか・・・ いろいろ探してみましたが、エティエンヌ・レオポール・トルーヴェロによる1880年のスケッチがGoogleさんより多く出てきます。 Daily News Agency(デイリーニュースエージェンシー) 1800年代後半に描かれた、とても貴重な天文観測イラスト12枚 1880年11月1日21時30分に観測した木星の大赤斑イラスト。 確かに・・・大きいです。 他のイラストを見る限り、写実的というより絵画的な印象、実際の所は想像するしかありません。 RB星のブログ 第33回木星会議 in 東京 2009/09/05 1日目 過去の大赤斑のスケッチです。大きな大赤斑もありますね! 「RB星のブログ」にあった、第33回木星会議での発表資料。 詳細は不明ですが、1873年〜1882年までのスケッチのようです。 「Load Rosse」とあるのは、有名なロス卿の手によるものでしょうか?でもWikipediaでは没年1867年なので合いませんね・・・ (追記4/17 03:40) 読者の方より情報を頂きました。全文をご紹介します。HIROPONさん、情報ありがとうございました。 Rosseの名前が出ている木星のスケッチですが、おそらくイギリスの天文学者ラルフ・コープランド(Ralph Copeland, 1837-1905)がロス卿の望遠鏡で観測、作成したものではないかと思います。 コープランドはロス卿から資金援助を受けていて、観測ももっぱらロス卿所有の望遠鏡を使って行っていたとのこと。引用されているスライド上で、スケッチ作成者が「Rosse & Copeland」と連名になっているのはそのためでしょう。 なお、「ロス卿」ことウィリアム・パーソンズ(William Parsons)の長男、第4代ロス伯爵ローレンス・パーソンズ(Lawrence Parsons, 1840-1908)も引き続き天体観測を行っていたそうなのでここにある「Rosse」が彼である可能性もありますが、この文脈で断りなしに「Rosse」と書かれれば、ウィリアムを指すのが普通でしょう (追記終わり) 150年も経つと、情報は散逸してなかなか見つからないものなのでしょうか。Googleさんはしょせん広告業なので、そんな昔のアーカイブを期待しても仕方ないのでしょうが・・ 19世紀の木星がどうだったか? 興味津々なのですが、情報をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひ本記事にコメント下さいm(_ _)m (追記4/7 9:40) 読者の方より情報を頂きました。I澤さん、情報ありがとうございました。 月惑星研究会 天文ガイド 惑星サロン 2008年5月号 (No.68) 大赤斑とカシニの斑点 (左) カシニの斑点(1672年) (中央) 初期の大赤斑(1879年) (右) 現在の大赤斑(2007年、Go) 「月惑星研究会」のHPより。 天文ガイド誌に連載している『惑星の近況』のバックナンバーから。 1879年撮影の木星の写真のようです。 前2点のスケッチと酷似していますね。 乾板写真の発明が1871年ですから、ごく初期の写真技術によるものでしょうか。 その左はさらにその200年前、カシニによるスケッチ。 これが現在の大赤斑と同じものなのか別物なのかは諸説あるようですが、上記記事では別物ではないかと推定されています。 (追記終わり4/7 9:40) この木星が明日4月8日に衝を迎えます。また、10日から11日にかけて、月と接近します。 「天文リフレクションズ」の最新の惑星情報は以下のリンクからどうぞ! http://reflexions.jp/tenmon/articles.html?uniqueTag=GWpIa9IlCL 国立天文台HP 月が木星に接近(2017年4月) 観望好機の木星と月の競演 4月8日に衝を迎えた木星が観望の好機を迎えています。衝の時期の木星は、日の入りの頃、東の空から昇り、真夜中頃に南中し、日の出の頃に西の空に沈んでいきます。木星のすぐ近くにはおとめ座の1等星スピカがみつかります。1.0等のスピカに対してマイナス2.5等の木星はひときわ明るく見えるでしょう。 今の時期、木星は日没後には東の空にあり、おとめ座の一等星スピカの近くに一晩中見えています。マイナス2.5等の木星は街中でもはっきり明るく見えるでしょう。編集部発信のオリジナルコンテンツ